平成21年11月30日月曜日

50-Day Planの第二弾

今日は11月の最後の日。肌寒い天気の東京です。
先週は青い空、青い海、白い雲のハワイで感謝祭を祝ってきました。
これでリフレッシュして、週末には10週間の認定研修も修了し、きれいな締めくくりができました。それで、明日、12月1日から「My 50-Day Plan」の第二弾をスタートすることを決めました。

家族と友人と生徒の皆さんと時間をすごせることに感謝!

平成21年11月15日日曜日

Day 50: 期待と希望

13日の金曜日にちょうど50日がきました。奇遇ですね。
今日はその2日後なので、無事終了したとも言えます。
50日目はそれなりに不思議な日でもありました。

まず朝一ですが、箱崎から新宿に行く必要があり、タクシーに乗って高速ルートをお願いしました。これで普通であれば20分から30分で目的地につきます。車の中でメールをチェックしていて、5分後くらいにふと頭を上げたら、まったく見覚えの無い大きな川の横をタクシーは飛ばしていました。 運転手さんは普通に運転していたので、新宿へ行く新しいルートかな?くらいでほっておきました。あと2〜3分たっても、視界に赤坂や新宿らしき光景が入ってきませんでした。さすがに不思議になり運転手さんに「このルートでどのように新宿へいくのですか?」と聞いたら、運転手さんはそこで初めて焦った仕草で「すみません。高速で間違ったターンをとってしまいました。」 ぎゃ! とくに遅れるとまずいセミナーだったのでこちらもいらだち「急いでいるんです。どう戻るのですか(実は全く反対方向の市川へ向かっていたのでした)?」ときいても「すみません。でも大丈夫ですので。」の一点張りでした。結局運転手さんは高速を一周して40分後にスタート地点の箱崎に到着、そして目的地への新宿へは20分おくれで到着でした。運転手さんもかなり焦っていたので、事故になって本当に今日で終わり?と思う一場面もありました。WOW。それにしても高速を一周したのは初体験でした。料金は1万5千円くらいだったと思いましたが、「運転手さん、こんな料金払いませんよ。」と言ったら、「では3000円でいいですよ。かなり安くしますので。」と運転手さん。思わず「あたりまえでしょ。」と捨て台詞をいいましたが、心の中では「たしかにこれは安い(^^)」と一瞬思いました。セミナーには事前に連絡しておいたので問題なく、参加者ぼ自己紹介が終わったところで合流したので結局大きなロスではありませんでした。怒りのループに入った自分を振り返ってみると「過ちを直ちに認めない」ということと「ロジカルに説明できない」ということで頭にきたことが気がつきました。心の柔軟性を説いている私としては、我ながら苦笑いでした。

この日はもう一つ自分の柔軟性にチャレンジする出来事がありました。
49日目の「怖い物無し」でも少々触れましたが、ある人物との一悶着もこの日ピークになりました。自分的には「アサーティブ・マイナス・相手に会わせる」(これは相手を逆なでにするコミュニケーションともいえるでしょう)をして、相手はぶっ切れてしまったようでした(^^;)。まぁ、超えては行けない一線は守らなくては。そしてその一線とは、自分の経験とノウハウ、そしてインテゥイション。それだけですね。ここでは「正義は最後に勝つ」が色強くでてきていることに気がつきました。

そしてこの日はそれなりに面白いこともいくつもありました。

セミナーでは、長年学びたかったリーン・6σの黄色帯のトレーニングを受けました。
リーン・6σの考えでは、一般的なビジネスプロセスには75%ほどの無駄がある。要するに、一時間かかるプロセスは本来15分でできる。それ以上に面白かったのは、例えば何かの申請のプロセスの現状を把握するときに、一つのテクニックとして、自分が申請書そのものになって、自分が誰の手から誰の手に渉なのかをシミュレーションして見ることでした。例えば「まず私は○○さんに印刷されて情報を入力されました。そのあと△△さんの机に1日ほっておかられ、そのあとに承認にはんこをしてもらったあと、□□さんの鞄の中に入って別のオフィスにつれていかれました。。。」などでした。

そこからはお客様のところに営業に行き、かなりコミュニケーションがはかどり、良い感じでした。

そして最後に会食に駆けつけ、とても面白い方と個人のプライバシーに関して一緒に美味しいお食事とお酒をいただきました。そこで聞いたお話ですが、このかたいわく「日本のクレジットカード情報の扱いはずさん」。その理由として、日本の銀行は消費者金融にも手をだしている。要するに白いお金と黒により近いお金が同一管理されているとのこと。まぁ、考えてみればそうですね。それにしても、何で日本の銀行がこのようなことをすることが許されているのでしょうね。。。

この50日は、自分のことを見つめ、学ぶ、絶好の機会でした。
学んだことの一つは、人間は常に死を考えて生きることはできないのでは?でした。
同じことをずっと考えていると、いつの間にか別のことに気が変わってしまうのです。
やっぱり人間は、死ぬまで生きる存在なんでしょう。
そして、そうであってもらいたいです。

また50日プランにチャレンジをしたいと思っています。
来年からまた50日プランをやってみたいと思います。そしてこの2ヶ月のお休みで、お休みしていた別のブログの更新をする予定です。

では、50日プランのアイディアをいただいたことに感謝!
50日間無事にすごせたことに感謝!

平成21年11月12日木曜日

Day 49: 怖いものなし?

昨日は久しぶりに記者発表会で発表をしました。
朝早く20名ほどの記者さんたちが集まってくれたので、エンターティメントも入れて楽しい一時を過ごしました。いつのまに人前で話すのが好きになったんだろう。。。

今日は会社でひともんちゃくやっちゃいました。
最近理不尽なことを言う人とつきあう気持ちがひとかけらもなくなってきています。
人生短い。。。
自分しか見えていない人とつきあっている自分の時間がもったいない。。。

さて、明日で50日ピッタリ。
金曜日の13日。
とっても不思議な日になりそうです。

この人生に感謝!

平成21年11月9日月曜日

Day 46: 「人間独ぼっちは意味不明」

前回のブログと今回のブログの間に誕生日がありました。
両親や、数多くの友人や知人からメッセージをいただいて、プレゼントも送られてきて
バースデーディナーにも行きました。 とてもナイスな一日でした。
やはり人間は一人じゃ生きて行けないなぁ、とも思わされた一日でした。

私が以前参加したセミナーで、私のメンターが言った言葉ですが「We humans don't make sense without other humans (人間独ぼっちじゃ意味不明な存在だ)」。 そもそも人間の「意味」ってよく分からないのですが、ましてや独ぼっちの人間の意味って、もっと分からないですね(意味は分からなくても意味が無いわけではありませんが...)。でも、なんか最近気持ち的にはこの意味が分かってきているような気がしています。

私もよく自分のセミナーで言っているのですが、「私(I)」という「もの」は存在しなく、「私(I)」はプロセスであるということ(細胞を作り上げる量子まで掘り下げれば、実に物等この世に存在しないことが見えてきます)。プロセスであるがゆえに、自分は常に変化している(細胞も死滅・再生のサイクルを絶えず繰り返している)。そしてプロセスには「独ぼっち」という概念が当てはまらない。地球そして宇宙の次元から見れば、人間を含めた全てが大きなプロセスの流れの一部なのでしょうね。

私の目先の行うべきプロセスは、部屋の大掃除。
これが終わったら、Before and Afterをブログに載せます。

多くのつながりに感謝!

平成21年11月4日水曜日

Day 41: 1年後は別人?

4日間タイ料理を思う存分食べて、プーケットの出張も無事終わりました。今日は久しぶりの休日だったので、私の大好きな喫茶にいって定番のマンダリンコーヒーとジャムトーストをエンジョイしました。お店の人が「久しぶりですね。お国に帰っていたの?」と聞いてくれました。行きつきのところっていいですね。なんか家族みたいな感じで。おまけにIKEAに行って、ウォードローブを買ってきました。家具を買ったのはなんと10年ぶりです。身辺整理って楽しいですね。

さて、私も良く使う話ですが「一年後の貴方は今の貴方とは全く違う人です。」 って聞いたことありますか? これは私たちの細胞が常に再製していることもあり、毎瞬毎瞬私たちは物理的に変わっているのです。実際は全ての細胞が入れ替わるのは一年もかからないと聞いたこともあります。今日テレビで、誰かが同じことを言ってました。そこで気がつきました。。。

私もこのことを話したときは、常に一年後の自分を考えてました。「一年後は全く違う人間...」。そこで気がついたのは、今日の私は364日前の自分とは全く違う自分。明日の自分は363日前の自分とは全く違う自分。明後日の自分は...でも、昨日の自分、今日の自分、明日の自分は、そんなに違わないように思える。見えない変化、気がつかない変化がつもりにつもって、いつの間にか全く違う自分に変身している。

なんか不思議な気持ちです。

不思議な世界に感謝!

もし50日しか生きれないとしたら。。。

もし後50日しか生きれないとしたら、その時間をどう生きますか?
一日一日が最後と思って生きるとしたら、どう毎日が変わるでしょう?
エルドン・テイラー氏が出した答えは「このひとときを大切に」でした。