平成22年1月1日金曜日

第二弾: Day 31 大晦日

ここはあと三時間で2010年です。

今友達の病室(回復室?!)からブログを書いています。
先ほどまで窓の外で花火がドンドンとあがってました。
今は雨が降ってきましたが、外ではまだ花火が絶えることはありません。
たまに雷が落ちたような音でビックリするくらいです。

外の光を見るために室内の明かりは消していて、廊下の光だけがドアから入ってきています。
友達は軽い眠りに入りました。
私も長椅子でのんびりしています。
病院でも慣れてしまうと、お家みたいです。

日本はもうお正月ですね。

紅白を見ないお正月は、本当に久しぶりです。
今年は最後の最後まで学び多い年でした。
2010年も平和でありますように祈ります。

平和という幸せに感謝!

平成21年12月31日木曜日

第二弾:Day 29 死と隣り合わせ

今日はまさしく死と隣り合わせでした。

今日も私は入院している友人のお見舞いにいっていました。
この病院は全てがしっかりとした個室なので、あまり廊下や隣の音は気にならないようになっています。ですが、今日は違っていました。

お部屋で友人と話をしていたら、外の廊下がにぎやかになってきました。
よく聞くと、隣の患者さんが「Flat Lined」になったと聞こえました。
フラット・ラインとは心電図のシグナルがまっすぐの線(フラット・ライン)になることです。
隣の患者さんが亡くなった瞬間でした。

そのあと2時間ほど、ご家族やお友達が隣の部屋に出入りしていました。
隣の我々にも皆さんの悲しいお別れが伝わってきました。

まさしく死と隣り合わせでした。

数時間後、隣の部屋は亡くなった患者さんと看護士以外は誰もいませんでした。
死は静かに時間の中に生きていました。
そして、24時間後には、次の患者さんがそのお部屋に入っていました。
何もなかったかのように。
部屋も。。。
看護士たちも。。。
時間も。。。
ご冥福を祈ります。

命の尊さに感謝。

第二弾: Day 30 昨日は昨日。。。

。。。今日は今日。

お隣に新しい患者さんが入ってきました。
ベッドは代えてあげたのかなぁ、と思ってしまいました。
でも、何があったか知らなければ、どうでもないのでしょうね。

私たちは多くのことを知らないから、平気な顔をして生きていける部分があるのでしょうね。

明日も日が昇ることに感謝!

平成21年12月29日火曜日

第二弾:Day 28 体のすごさ

私は以前から、人間の体は、とってもすごいと思っていました。
そして、今日もそれを体験しました。

人間の体は、何らかの外的ショックを受けると、自動的に「今生きるのに何が大切か」を判断し、体の臓器に優先度をつけます。そして、優先度の高いものを守り(心臓もそのひとつだと思いますが)、そうではないものはシャットダウンします(例えば胃腸など)。

例えば背骨などに外的ショックがおきたときに、胃腸が一瞬麻痺することがわかりました。
要するに、「今この瞬間を乗り越えるためには、消化機能は必要としない」ということなのでしょう。

時間が過ぎて、危機がなくなり、体は再び安全な状況に戻ると、胃腸もまた目覚めるということです。

今このブログを書いている間、私の顕在意識は、ブログの内容をキーボードを通してPCに打ち込むことに集中しています。同時に、私の潜在意識は、この身体を継続するためのその他全ての機能を同時進行そています。

計り知れないすばらしい体のすごさに感謝!

平成21年12月28日月曜日

第二弾:Day 27 今を生きること

私のNLPメンターの一人が教えてくれたことをシェアします。

「人間の五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚は、今、この瞬間起きていることを感知することが、非常に得意である。

逆に、過去と未来のことに使うことはとても苦手としている。

それなのに、なぜか人間は過去のことを思い出して悔やんだり、未来のことをシミュレーションして心配したりすることを望む。 年がら年中「今」以外のことに気をとられている。

人間の五感は、「今」を生きることのために備えられた機能である。

その能力をフルに生かして今を生きよう。」

確かに。

我々の記憶の中に、「心配に心配をして。。。 実際は起こらなかった」ということはザラにあると思う。 未来を予測して、それをシミュレーションし、それが起きることを前提に、今悩む。
なんと無駄な時間とエネルギーだろう。

さきほど、アメリカの70年代のアイドル、ファラー・フォーシットさんが言ったこのような言葉がテレビで流されていました。 「神様は、私たちが対応できない試練は授けない。」


「今を生きる」生き方への気づきに感謝!

平成21年12月27日日曜日

第二弾:Day 26 サービス業としての医療

今日はある友人が数日入院するため半日病院にいました。

私はそもそもお医者さんを信じていない派なので、10年以上お医者さんに行ったことはなかったのですが、会社の強制で2ヶ月前に一日ドックに行きました。無事何も見つかりませんでしたので、私はあと10年行く必要がないかな、と思っています。

まぁ、そんな私が今日病院にいて、目からうろこでした。

今日は土曜日だったので、救急受付(いわゆるER)に行きました。
そこで最初の受付の女性は、親切で、車椅子で友人を中まで入れて最初の受付をしてくれました。
次にきた男性は、私がイメージする典型的な不親切な助手で、私の友人に状況の確認をしているにもかかわらず、ずっとコンピュータのスクリーンに向かって、電子カルテに情報をさくさくと入力していました。ここで私は心の中で「やっぱりね」と思いました。

ですが、次にきた人がびっくりでした。
次に、30代くらいのお医者さんがきて、にこやかに挨拶をして、両手で私たちと握手をしてくれました。話し方もとても丁寧で、とてもドクターのイメージではありませんでした。

ここが私の病院に対する考えの転換の始まりでした。。。

友人は何度かレントゲン、CATスキャン、MRIとあちこち行ったり来たりしたのですが、全部助手の人がストレッチャーを押してくれて、友人は一歩も動く必要はありませんでした。そして、どこでも待ち時間が5分以上のところはありませんでした。

そして、救急受付に行ってから2時間後には、友人は個室に入って、主治医との面会をしていました。主治医も、とっても優しい40代の先生で、何度も自分の名前を言って「私があなたのドクターですからね」といって部屋を出て行きました。

その後は食事が昼と夜出てきて、友人があまりおなかがすいていないと言ったので、私が夕食を全部食べちゃいました。ポーク、グレービー、野菜、スープ、フルーツ、ジュース。ホテルの食事っぽかったです。


夕方には、頭と体を洗いに看護士が二人きました。
頭はシャワーキャップみたいなので頭をごしごしして、水無しで洗えるものでした。
体は丁寧にスポンジで洗ってくれました。

この病院だったら友人を心配なく預けられると思って、夜にお別れをしてきました。

不安なときに安心できる空間を作ってくれる医療の皆さんに感謝!

平成21年12月26日土曜日

第二弾:Day 25 メリークリスマス

メリークリスマス。

クリスマスは、キリストのためのミサ。
キリストを敬うために皆が集まって祝うこと。

今となってはクリスマスのもともとの意味をそのとおりに祝う人たち、別の意味で祝う人たち、まったく祝わない人たち、さまざま。

私はキリスト教ではないので「別の意味で祝う人たち」 の一人になる。
私にとってこの日は、身近な人たちに感謝する日。
無事に一年を迎えられたことに感謝する日。
そして、これからも平和で穏やかな一年を迎えるために祈る日。

部屋に飾っているクリスマスツリーには、私が子供のときに母が買ってくれたサンタクロースの飾りがいくつかつるされている。
かなり古ぼけて色もあせてしまっている。
でも、長年一緒に育った思い出でがいっぱい詰まっている。

テレビには昭和の歌謡曲が流れている(^^)

メリークリスマス!

この一年に感謝!

もし50日しか生きれないとしたら。。。

もし後50日しか生きれないとしたら、その時間をどう生きますか?
一日一日が最後と思って生きるとしたら、どう毎日が変わるでしょう?
エルドン・テイラー氏が出した答えは「このひとときを大切に」でした。