平成21年12月31日木曜日

第二弾:Day 29 死と隣り合わせ

今日はまさしく死と隣り合わせでした。

今日も私は入院している友人のお見舞いにいっていました。
この病院は全てがしっかりとした個室なので、あまり廊下や隣の音は気にならないようになっています。ですが、今日は違っていました。

お部屋で友人と話をしていたら、外の廊下がにぎやかになってきました。
よく聞くと、隣の患者さんが「Flat Lined」になったと聞こえました。
フラット・ラインとは心電図のシグナルがまっすぐの線(フラット・ライン)になることです。
隣の患者さんが亡くなった瞬間でした。

そのあと2時間ほど、ご家族やお友達が隣の部屋に出入りしていました。
隣の我々にも皆さんの悲しいお別れが伝わってきました。

まさしく死と隣り合わせでした。

数時間後、隣の部屋は亡くなった患者さんと看護士以外は誰もいませんでした。
死は静かに時間の中に生きていました。
そして、24時間後には、次の患者さんがそのお部屋に入っていました。
何もなかったかのように。
部屋も。。。
看護士たちも。。。
時間も。。。
ご冥福を祈ります。

命の尊さに感謝。

第二弾: Day 30 昨日は昨日。。。

。。。今日は今日。

お隣に新しい患者さんが入ってきました。
ベッドは代えてあげたのかなぁ、と思ってしまいました。
でも、何があったか知らなければ、どうでもないのでしょうね。

私たちは多くのことを知らないから、平気な顔をして生きていける部分があるのでしょうね。

明日も日が昇ることに感謝!

平成21年12月29日火曜日

第二弾:Day 28 体のすごさ

私は以前から、人間の体は、とってもすごいと思っていました。
そして、今日もそれを体験しました。

人間の体は、何らかの外的ショックを受けると、自動的に「今生きるのに何が大切か」を判断し、体の臓器に優先度をつけます。そして、優先度の高いものを守り(心臓もそのひとつだと思いますが)、そうではないものはシャットダウンします(例えば胃腸など)。

例えば背骨などに外的ショックがおきたときに、胃腸が一瞬麻痺することがわかりました。
要するに、「今この瞬間を乗り越えるためには、消化機能は必要としない」ということなのでしょう。

時間が過ぎて、危機がなくなり、体は再び安全な状況に戻ると、胃腸もまた目覚めるということです。

今このブログを書いている間、私の顕在意識は、ブログの内容をキーボードを通してPCに打ち込むことに集中しています。同時に、私の潜在意識は、この身体を継続するためのその他全ての機能を同時進行そています。

計り知れないすばらしい体のすごさに感謝!

平成21年12月28日月曜日

第二弾:Day 27 今を生きること

私のNLPメンターの一人が教えてくれたことをシェアします。

「人間の五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚は、今、この瞬間起きていることを感知することが、非常に得意である。

逆に、過去と未来のことに使うことはとても苦手としている。

それなのに、なぜか人間は過去のことを思い出して悔やんだり、未来のことをシミュレーションして心配したりすることを望む。 年がら年中「今」以外のことに気をとられている。

人間の五感は、「今」を生きることのために備えられた機能である。

その能力をフルに生かして今を生きよう。」

確かに。

我々の記憶の中に、「心配に心配をして。。。 実際は起こらなかった」ということはザラにあると思う。 未来を予測して、それをシミュレーションし、それが起きることを前提に、今悩む。
なんと無駄な時間とエネルギーだろう。

さきほど、アメリカの70年代のアイドル、ファラー・フォーシットさんが言ったこのような言葉がテレビで流されていました。 「神様は、私たちが対応できない試練は授けない。」


「今を生きる」生き方への気づきに感謝!

平成21年12月27日日曜日

第二弾:Day 26 サービス業としての医療

今日はある友人が数日入院するため半日病院にいました。

私はそもそもお医者さんを信じていない派なので、10年以上お医者さんに行ったことはなかったのですが、会社の強制で2ヶ月前に一日ドックに行きました。無事何も見つかりませんでしたので、私はあと10年行く必要がないかな、と思っています。

まぁ、そんな私が今日病院にいて、目からうろこでした。

今日は土曜日だったので、救急受付(いわゆるER)に行きました。
そこで最初の受付の女性は、親切で、車椅子で友人を中まで入れて最初の受付をしてくれました。
次にきた男性は、私がイメージする典型的な不親切な助手で、私の友人に状況の確認をしているにもかかわらず、ずっとコンピュータのスクリーンに向かって、電子カルテに情報をさくさくと入力していました。ここで私は心の中で「やっぱりね」と思いました。

ですが、次にきた人がびっくりでした。
次に、30代くらいのお医者さんがきて、にこやかに挨拶をして、両手で私たちと握手をしてくれました。話し方もとても丁寧で、とてもドクターのイメージではありませんでした。

ここが私の病院に対する考えの転換の始まりでした。。。

友人は何度かレントゲン、CATスキャン、MRIとあちこち行ったり来たりしたのですが、全部助手の人がストレッチャーを押してくれて、友人は一歩も動く必要はありませんでした。そして、どこでも待ち時間が5分以上のところはありませんでした。

そして、救急受付に行ってから2時間後には、友人は個室に入って、主治医との面会をしていました。主治医も、とっても優しい40代の先生で、何度も自分の名前を言って「私があなたのドクターですからね」といって部屋を出て行きました。

その後は食事が昼と夜出てきて、友人があまりおなかがすいていないと言ったので、私が夕食を全部食べちゃいました。ポーク、グレービー、野菜、スープ、フルーツ、ジュース。ホテルの食事っぽかったです。


夕方には、頭と体を洗いに看護士が二人きました。
頭はシャワーキャップみたいなので頭をごしごしして、水無しで洗えるものでした。
体は丁寧にスポンジで洗ってくれました。

この病院だったら友人を心配なく預けられると思って、夜にお別れをしてきました。

不安なときに安心できる空間を作ってくれる医療の皆さんに感謝!

平成21年12月26日土曜日

第二弾:Day 25 メリークリスマス

メリークリスマス。

クリスマスは、キリストのためのミサ。
キリストを敬うために皆が集まって祝うこと。

今となってはクリスマスのもともとの意味をそのとおりに祝う人たち、別の意味で祝う人たち、まったく祝わない人たち、さまざま。

私はキリスト教ではないので「別の意味で祝う人たち」 の一人になる。
私にとってこの日は、身近な人たちに感謝する日。
無事に一年を迎えられたことに感謝する日。
そして、これからも平和で穏やかな一年を迎えるために祈る日。

部屋に飾っているクリスマスツリーには、私が子供のときに母が買ってくれたサンタクロースの飾りがいくつかつるされている。
かなり古ぼけて色もあせてしまっている。
でも、長年一緒に育った思い出でがいっぱい詰まっている。

テレビには昭和の歌謡曲が流れている(^^)

メリークリスマス!

この一年に感謝!

平成21年12月25日金曜日

第二弾:Day 24 時空を渡る

今日は、クリスマスイブ。
今、日本はクリスマスディー。
私は数時間の飛行で時空を逆に渡って、12月24日という日を二度すごしています。
これってタイムトレベラーですね。

アインスタインは「時間は存在しない」といったそうです。
確かに今は日本が遠いところにあるという感覚で、違う時間にいるという感覚ではありません。
不思議ですね。

私は今も昔もよく海外出張をしています。
そして時差ぼけという体験も何度もしています。
そのときに、時差ぼけの強弱は、どれだけの時間飛行機に乗ったかではなく、どのくらいの距離を乗ったかによって決められると聞きました。

でも、やはりこれは距離と時間で決まると直感的に思います。
時空ですね。 そして、人間は今のように長い距離を、これだけ短い時間で物理的に渡るようにできていないのだと思います。

それにしても、テレビでは日本のクリスマスの日のニュースが出ています。
このブログを書いている私はまだクリスマスイブです。


メリークリスマス皆さん。

平和で家族とこのひと時を一緒にできることに感謝!

平成21年12月23日水曜日

第二弾:Day 23 トライの重要性

今日テレビでイチロー選手が日本にきて、「イチロー杯」少年野球に出ているのがニュースになっていました。 イチロー選手と握手した一人の少年が「お風呂にも入りたくない思いです。」と感動していました。

そこでイチロー選手が言った言葉は次のようなものでした:
「何かをやろうと思って、もしそれができなかったとしても、やろうとする気持ちが大切なんです。」

このトライの精神を、私は長いこと誤解していました。
英語になりますが、誰かが「I will try.」 と言うと、決まって「"try" presupposes failure. Just do it.」。
要するに「トライします。」ということの裏には「できない可能性がある。できないかもしれない。」があるので、「トライ」ではなく「やります!」と考えましょう。。。 有言実行の原理です。

ただし、今年私のメンターから「量子ゼノン効果(Quantum Zeno Effect)」と「トライすること」の関係を学び、私の考えが変わってきました。

量子ゼノン効果とは、何かをずっと監視すると、そのものの状況を安定する効果があり、変化の速度が落ちる・落ち着くというものです。 「水が沸くのを見ているとなかなか沸かない」というものです。 これと「トライ」の関係は、何かを常にトライすることとは、その何か、例えば「イチローのようになりたい」という状況が安定し、その思いの回路が太く強くなるという考え方です。 回路が太く強くなるということは、そのことが起こりやすくなるということ。

要するに「トライ」することにも意味があるということです。

たしかに世界にイチローは一人しかいない。
これもテレビのコマーシャルの一場面だった。。。
ある少年がイチローを目指してバットをかまえている。
それを見た父親が、こういった
「いくらなりたいと思っても、なれないかもしれない。」
「でも、なりたいと思わなければ、絶対になれない。」

新しいトライの発見に感謝。

平成21年12月22日火曜日

第二弾:Day 22 誓うということ


今日はいち早くブログへスタートです。
今日のテーマは「誓う」ということ。

私の取っては書物は出会いと以前いいました。
そして、インターネットでサーフィングしてたどり着いたサイトも同じく出会いです。

今日はディーパック・チョプラ先生が活動している「 I Take The Vow」のサイトにたどり着きました。このサイトは、皆が「考え、言葉、行動で暴力をなくすことで世界平和が実現できる」という思想を持つ人たちが集まるサイトです。ここでは、考え、言葉、行動で暴力をなくす誓いを一人一人が行います。私も先ほど誓いました。一度誓ったことには後戻りはありません。

今日のインテンションは、誓うという行為を考えて一日を過ごします。

では、いってきます!
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ただいまです...というか、朝4時なので、「おはようございます」です!

今日(昨日)も忘年会で、すっごく不思議な方達とお会いしました。
もとプロゴルファー、もと局アナ、ステージマジッシャン...
とっても素敵な皆さんでした。

今日のテーマの「誓うこと」。
誓うことそのもにには問題は感じませんでした。
ですが「非暴力(Non-violence)」には若干戸惑いがありました。
何故かというと、「非暴力」を分かるためには「暴力」を分からなくはいけないと自分で思っているからです。

もし、非暴力を一つのコンセプトとして捉えられれば問題はありませんが、どうしても「非」がつくと、次の「暴力」を考えてから、それをひっくり返す。ということは、「非暴力」を遂行するためには、年がら年中「暴力」を考えて、それをひっくり返る。少なくても、それが無意識でできるようになるためには。

となると、「非暴力を考える」には「暴力」がつきもの。

 一見当たり前に聞こえる論理です。
でも、今は必ずしもそうでなくても良いと私は考えています。

「非暴力」は「○」で、暴力は「●」。
私は「○」を考える。
ようするに、●なしでも○は存在できる!

新しい出会いに感謝!

平成21年12月21日月曜日

第二弾:Day 21 年末という節目


今日は会社のランチタイムを使ってブログのアップデートをしています。

今日は「節目」ということにインテンションをおきたいと思います。
先日コーチングのセッションを受けていたときに私があげたひとつの目標は、朝のスタートを気持ちよくすることでした。

私は早起きの習慣は無く、本当にまれに「さ~!朝だぁ!」という気持ちで目が覚めます。
それとは裏腹に、夜はとっても集中できて、働きやすいと自分では思っています。
コーチングの中で「私の一日が夜から始まったらなぁ」とコメントしたことを覚えています。
たしか、これはそんなに外れた考えではなく、どこかの国では、夜から一日が始まる習慣があると読んだことがあります。

でも、しかし、なぜ人間は、このようにメリハリをつけたがるのでしょうか?
一日の始め。一日の終わり。
週の始め。週の終わり。
一年の始め。一年の終わり。
そして人生の始め。人生の終わり。
そう考えると、自分の境界と他人の境界も、同様のニーズからあるものかもしれません。

今日一日、このことを頭に過ごしていきます。

では、いってきます!
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ただいまです。

今夜は二人のお友達と忘年会でした。
美味しいイタリアン、ワイン、そしてグラッパ。
貴重な一時は、本当にプライスレスです。

それで、「節目」に関し答えが浮かんできました。
私たちは節目を、ある一定の時間が過ぎたところに設定しています。
一年が365日のように、時間は我々の外にある物差しで動いているように思え、ある意味「確実におきる」ものです。ようするに、我々は「節目」を設定することによって、「確実に起きる」何かを作り、そこに一種の安心感を作っているのではないでしょうか?

でも、時間は相対的な物です。
一日は24時間かもしれませんが、太陽系に何か起きて、地球と太陽との関係が変わったらどうでしょう?地球が太陽を30時間で回ったら、一日は30時間になるのかもしれませんね。

「節目」。
それは私たちのマインドの産物。
現実には無い。
確実なことも何も無い。
あるのは、本当にこの一瞬だけ。

友人達に感謝!

平成21年12月20日日曜日

第二弾:Day 20 インスピレーション

今日はとっても天気で、これから外でエンジョイしてきます。
まずは、私が昔から通っている五反田の美容院に行って髪をすっきりとさせて、その後広尾でランドリーをして、次に友達と六本木ヒルズで映画、追ってミッドタウンでお食事(お豆腐料理屋さん)、そして話題のイルミネーションも見てくる。私に取っては「のんびり+アクティブ系」の理想の日曜日です。

...考えてみると、な〜んにも予定が無い日って最近ないな〜。
なぜか一人でいると、色々やりたいことが頭に浮かんでくる。

今日のインテンションは、友達とあったときに、感謝の気持ちで包んであがること。
そして今日持って歩く私のフェーバレットな作者、苫米地さんの新しい本「思考ノート術」からあらたなインスピレーションを頂くこと!



では、いってきます!
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ただいま帰りました。

今日の映画は「2012」でした。

あらすじは、2012年に太陽が異常活動し、地球に向けて大量のニュートリノを放射し、地球が電子レンジの用にコアが煮えて大地震が起きて地球が滅びる、というものでした。2012年に異変が起きる予告は実際にあるようですが、映画では現代版の「ノアの方舟」で人間達が乗り越えるというものでした(戦艦ヤマトっぽかったです)。動物達もヘリコプターで運ばれてきました。

でも、何がすごかったというと、デジタルFX効果でした。これは日本人のデジタルアーティストが関わっていたことがテレビ番組に出ていました。

で、確かにFXはすごかった。
ワシントンDCのホワイトハウスに津波に運ばれた戦艦空母ジョン・F・ケネディーが直撃したり(ちなみにアメリカの大統領は黒人のアクターでした。オバマさんを想定したのでしょうね。)、ロスアンジェレスの大半が割れて海の中に沈んでいったり。とても臨場感のある作品でした。

でもやっぱりノアの方舟ですかねぇ...

ところで、苫米地さんの本ですが、過去の本をかなり読んでいるので、出てくる概念はよくわかりました。とくに抽象度を上げることはNLPのチャンキングアップと類似しているので納得です。本で紹介されるメモ(記憶のためのもの)とノート(自分の脳を活性化するためのもの)の違いも面白かったです。明日からこのノートの取り方を試してみます。ちなみに、この本を読まれると、苫米地さんが出している「夢が勝手にかなう手帳」もぴったりだと思います。



インスピレーション。
それは息を吸うこと。
深く息を吸って、長く吐くと、気持ちが落ち着きます。
アイディアのインスピレーションは、まずそこから!

息一つで気持ちを変えれる。そのインスピレーションに感謝!

平成21年12月19日土曜日

第二弾:Day 19 片付けること


今日はキリッとした土曜日の朝です。
朝のニュースでは東京でこの冬一番の寒さともいっていました。

今Skypeで、アメリカにいる友達とビデオチャットをしました。彼女は六ヶ月前にはPCに対しての違和感を持っていた人で、私がMACをお勧めしました。その彼女が今MACを使いこなしている。すばらしい!

今日のブログも二部制で行きます。
さて、今日の一日のインテンションは:
部屋を片付ける!
部屋が片付いたら、ロボット掃除機のルンバを買ってきて放し飼いする。
部屋が片付けば、心も片付く気がします...

では、いってきます!
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ただいまです!

今日はかなり整理整頓が進みました。
でもその前にBICカメラにもいってルンバ君を見てきましたが、とっても高額でビックリ(7万円軽くいっちゃいます)。ルンバ君はボーナス出るまで保留ですね。

今日気づいたのですが、私は何かをするときに、それが達成したイメージをどこかで持っていて、そのイメージ通りになるように無意識でものごとを整えるようになっていました。今日のルンバもそうです。部屋が片付いたらそこをルンバに掃除させるイメージをしていたので、それを真っ先に買いにいくように足が進んでいた。

部屋を一気に片付けようと以前考えたときは、あまりにも大変そうで気持ちがオーバーウェルムになりました。でも、片付いた後の自分の気持ちを感じ、その気持ちの中で今出来る一番小さなステップを取りました。 そのステップは、洋服群、書物群、書類群と大きく分けて部屋の別々のところにまとめて、そしてその一つ一つの固まりを片付けて行く方法です。今週末は書類群の番です。明日残り少しの書類を片付けます。大切なのは書類を片付けているときは、本や洋服のことは心配しないこと。ものごとなるようにしかならないので、まずは決めたことに全心全力になること。

頭の中もそう片付けるとオーバーウェルムにならなくてすみます。

私のメンターから学んだこんなメタファーがあります。

どこかに泳ぎたいとき、水面を泳ぐことよりも水中に沈んで泳いだ方が早く進みます。
なので、水面に浮かんで行き先を見極めたら、水中に沈んで前に泳ぐ。

そして、息をつきに水面に再び上がったら、周りを見渡して、次にどの方向に泳ぐかを見極めて、また水中に沈んで前に泳ぐ。

人生も同じで、時にはものごとに集中してことをこなす。そして、たまには顔を上げて、周りを見渡して状況の変化を読み取り、次に行く方向を決める。そして、またものごとに集中する。

今日一日気持ちよく集中でいたことに感謝!

平成21年12月18日金曜日

第二弾:Day 18 意識的に日を始める


今日は朝早くにコーチングを受けました。
今日朝、軽い地震があったせいか、30分後のコーチングセッションには目がぱっちりさめていました。コーチングセッションは電話で一時間程度のものでしたが、とってもエネルギーが出てきました。

コーチングで浮かんだアイデアですが、今日はブログを二部に分けて、朝と夜に書き込みます。

朝は今日一日のインテンションを設定します。
今日のインテンションは、今日3件のお客様との初打ち合わせがあるので、そのときにNLPのSensory Acuity(見る、聞く、触る、感じる)を鋭くすることを心がけて、何が見えるかを楽しみにします。

では、いってきます!
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ただいまです!

今日は3件の顧客訪問があり、一件目は社長と一緒の表敬訪問で、そもそも話す番は無かったので、テーブルの一番端からお客様の表情を勉強していました(目の動き、ボディーランゲージなど)。

二件目のお客様は社長と専務の肩書きで、かなりお堅い会社にも関わらず、終始にこやかに我々と会話をしていただけました。最初のお会いでしたが、ある提案をしたところ、とても興味を持っていただき、とてもハッピーな面会でした。

ですがケッサクが三件目のお客様でした。こちらも社長と一緒にお客様側の社長との面談でしたが、私の仲良い知人が向かい側に座っていたので、とても陽気な気分でミーティングが進んで行きました。そして終了近くなってきたとき、私の頭にポンとあるビジネスのアイディアが浮かびました。そして、その説明を始めたら、ピン・ピン・ピン!と繋がるアイディアが出てきました。これがインスピレーションのモーメントです!

私も話をしている間はどのような展開になるのか分かっていませんでしたが(脳とシンクロする前に、口が先に話し始めたような感じ...)、話している間にストーリーのように次のアイディアが出てきたのです。内容はあまりにも技術的なので割愛しますが、かなり画期的なアイディアです。先方はすぐに興味をもって頂いたので、来週にもブレストです。やった!

ちょっと自分にご褒美として、またもや丸ビルの京豆腐の料理屋さんに行って、一番高いユバズクシのお膳コースと、お豆腐の白ワインをエンジョイしました。最後に豆乳のアイスと抹茶が出てくるのですが、今日はちょっと違っていました。店員の人が私のテーブルの横に小さいテーブルを持ってきました。私は一瞬キョトンとしました。すると、その目の前でシャシャっと抹茶を作ってくれたのです。思わずシャッターを切りましたのでシェアします。

意識的に生きる楽しみに感謝!

平成21年12月17日木曜日

第二弾:Day 17 期待というエネルギー


今日は「expectation 期待」のテーマでブログに書こうと夕食で、ふと思いました。

今夜も丸ビルの6階にある京豆腐料理のお店で夕食をしました。
今日は豆腐で出来た赤ワインを舐めるように飲んで(食事中はあまり水分は飲まないようにしているので...)、とってもデリシャスなお豆腐の様々な盛りつけしているお弁当を頂きました。

実は今夜、職場の同僚の人をお誘いしました。この人をAさんとしましょう。
Aさんには日々山ほどお世話になっていて、一緒にお豆腐料理をエンジョイするのもいいかなぁと夕方思いついたので聞いてみました。Aさんは、先に別のお誘いがあったので、まずはそこに顔を出してから30分後にお豆腐のお店で合いましょう、との約束で私は先にお店の前でまっていました。すると約束の時間ぴったりに電話がかかってきて、別の飲み会の人で、Aさんも居るので私にもおいでよとのお誘いをいただきました。とってもにぎやかで、声がまともに聞こえませんでした。

普通だったら行っていたと思いますが、今日は静かにお豆腐料理をエンジョイする思いがあったので、お断りして、一人でお豆腐料理屋さんで、ゆっくりとディナーをエンジョイしました。

一昔前だったら「なんだ、約束した癖に!」と思っていたことは確実です。
でも今は全くそういう気持ちが無い。
だってAさんが来ても来なくても、今夜はお豆腐料理を食べると決めていたから...

ここで、D. J. サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(Catcher in the rye)」の一節を思い出しました。その一節は、こういうふうに覚えています。

ある少年がお父さんと一緒に魚釣りにいくのをとても楽しみにしていた。
そしてお父さんも、日曜日に朝早く一緒に行くと約束をしました。
ですが、お父さんは前の日に遅くまで仕事をしてしまい、日曜日の朝は、息子との約束をすっかり忘れて寝ていたのです。
少年は、父を恨み、ずっと家の中でその日をすごしました。
本当に魚釣りに行きたかったのに...
ですが、誰かは彼に言ったのです。
「もし自分が本当にやりたいことがあったら、人が来ようが来なくても、自分一人でも行くと心に決めなさい。」と。
「人のせいでどこかに行かなかったとか、人のせいで何かができなかった、と言うのは意思の弱い人間が言うことだ」と。

約束した人が来ても来なくても、自分がやろうと思ったことはやる!
この考えのお陰で、私は人に対しての期待が満たされなかったことで、自分や他人を責めることがとても少なくなったような気がします。

「期待」という気持ちはとても価値のあるものです。
ですが、「期待」というエネルギーは大切にして、どうでも良いことには使わない。
これが私の今の心境です。

...なので、Aさん、またのチャンスにね!

平和で静かな一時に感謝!

平成21年12月16日水曜日

第二弾:Day 16 ロードウォリヤー


このブログを書きながら、会社のアメリカとヨーロッパの人向けのインターネット+電話会議を使ったトレーニングに参加しています(今50名が参加しています)。

トレーニングは先ほど始まり(22時30分)、朝の02時30分に終了する予定です。時間も時間なので家から参加しています。今日は寒いので温かいパジャマをきて、大好きなあずき茶を飲みながらのチョウリラックスした環境です(音楽もかけたいところですが、プレゼンテーションの声が聞こえなくなるので、ちょっと残念です。)

このブログのウィンドウの横にもう一つのウィンドウが開いていて、そこでマイクロソフトのライブミーティングというソフトが動いています。その中にパワーポイントのスライドがプレゼンテーションに合わせて新しい画面にポンポン変わっています。

音声は電話を使ってるので、私は会社から支給されたブラックベリー(ウェブも使える携帯電話で一般的にスマートフォンと呼ばれます)で電話会議に参加しています。ブラックベリーはスピーカーで聞いていて、こちらの音が聞こえないようにミュートにしています(とくに私がブログを書いているキーボードの音とか、トイレにいったときの水を流す音とか...)。

このミーティングに参加する私側の準備はゼロに等しかったです。
私の家のパソコンはMACなので、ライブミーティング用のブラウザーのプラグインを30秒ほどかけてインストールして、次の瞬間、ブラウザーでトレーニングのコンテンツが見えました。かなり長いトレーニングなのですが、電話会議の番号は日本の番号を使っていて、国際電話の料金はかかりません。

この構成であれば、基本的に外出先でも、ホテルでも、同じことができます(あずき茶は持ち込みで)

実はこれってすごく画期的なんです。
これを同じようなことを2、3年前くらいにやろうとしたら、きっとこの簡単さではできていなかったと思います。


いつでも、どこでも仕事ができる。
まさしく、これはロードウォリヤー(Road Warrior)!

ですが、これってはっきり言って、人間の一日のサイクルを全く無視していますよね。
実は明後日同じトレーニングが日本の普通の時間で行われるのですが、私は普通にお客様とのアポがあるので、今夜のトレーニングに参加をしています。

でも、一昔前だったら、そんな選択肢は無かった。
今はある。
だから夜もまともに寝ないで、ブラックベリーから出てくるアメリカとヨーロッパの人たちの声を、ブログを書きながら聞いている...

ここには何かの学びがある...
でも、ブログを書きながら横目でトレーニングのパワーポイントを見て、電話会議の音声を聞いているので、まともに頭が回らない。

やっぱり人間の意識はシングルタスキングですね。

(今10分休憩が入ったので、お風呂にお湯を入れて湯船に浸かってテレカンにチャレンジ!発言さえ求められなければ、問題な〜し!)

技術の進化を身を持って体感できることに感謝!

平成21年12月15日火曜日

第二弾:Day 15 染まるということ


今日はサプライズの忘年会でした。
今日午後にお客様に向かうときに「今日夜開いてますか?実は身内で忘年会をするのですが、一人来れなくなってしまって...」。拾い物貰い物に常に感謝の私は、もちろん「OK」。

場所は、曙橋にある小さな宮崎風お料理屋でした。我々15人で一杯になって、私はがんもどきやイワシの塩焼きや、まず美味しい物ばかり。ビールはグラス一杯にちょっと控えめ(やっぱりこの季節のダイエットは難しいかも)。

さて、以前書いた「朝食を抜かすと元気」の本で推奨している18時間ルールを守っている私は、今日の朝は目覚めがとてもよかったです。そこで起きたときに頭に浮かんでいたのが「染まること」でした。

実は私はこの20年間かなり仕事を変えている人間です。端から見ればジョブホッパーにすら見えます(頻繁に会社を変える人)。履歴書だけで書類選考されてしまうと落ちるのですが、近年はパワルフなリクルーターのお助けで、ちゃんとしたお仕事につけています(大感謝!)。 

そして今私の部署に人を入れるための面接をしているのですが、私の手に履歴書が届く前に人事の選考があります。すると一昨日、あるリクルーターが私に連絡してくれました。彼いわく、彼が推奨した候補が人事の書類選考で落ちてしまったということでした。人事からの理由は、相手がジョブホッパーだからというものです。私のそのリクルーターへの答えは、面接はチームワークなので人事の意向を尊重する、とメールで返事を送りました。

そのメールを送ってから、何か違和感が私の心の中に芽生えました。
もしその候補が私だったら、絶対に落ちているよなぁ。。。

そして追い討ちをかけるように、昨日も似たようなことがもう一つありました。
数日前の話ですが、私の知っている会社で人を探していて、私の知り合いに誰かいい人がいないかと聞かれたので、昔一緒に働いた男性を紹介しました。彼はとてもユーモアがあり、人情深く、且つ心の良いエンジニアで、彼以外私は心当たりがありませんでした。そして昨日、会社から面接の進捗があり「やぁ〜。この人良さそうなんだけど、かなり仕事を変えていてねぇ。。。ちょっと心配なんだけど、大丈夫?」という内容でした。私は、まぁ、面接して見てご自分で判断してください、としか返しようがありませんでした。

やはり違和感がある。。。
ましてや、この会社の人も、かなりのジョブホッパーである。
なにかオカしい。自分が見えていない!

この違和感は、私が序々に染まってきていることが分かってきたからです。

このご時世、嫌な会社にずっといる人の方が、ストレスがたまって健康に良くないと思います。あまりにも無責任で人を乱暴に扱う会社も幾つか体験して、社員は会社の奴隷ではないのだ!という気持ちで一杯です。雇用関係はウィン・ウィンとギブ・アンド・テーク。そしてジョブホッパーと言われる我々にはそれなりの思いがあってのこと。逆に、様々な体験ができて、応用力が着きます。私は仕事を変えてきていることに悔いはありません。

これが本来の私です。
そして明らかにこの違和感は、私自身へのワーニングサインです。
ワーニングサインは「信じていることと、言っていることが違う!」
そして、このようなコンフリクトは自分の自尊心を蝕みます。

今日の朝のニュースで、政治家からのプレッシャーに「折れて」中国の政治家と天皇陛下との面会を特例のスピードで許してしまったと、宮内庁長官が言っていることが出ていました。長官は「天皇の政治的利用をさせない。そしてそれを守ってあげるのは自分の使命。」とおっしゃっていました。でも結局、折れてしまって、許してしまってからじゃ、全然説得性がありません。これもある意味、この方が染まってしまったことだからでしょう。

あまり染まりすぎないうちにワーニングを出してくれた自尊心に感謝!

平成21年12月14日月曜日

第二弾:Day 14 出る人が先!


数日前に2冊の本をあっという間に読んでしまいました。
一冊目は「毒出し黒豆ダイエット」でした。なんといっても、この表紙が目を引きました(まぁ、なぜそもそもダイエットのエリアに居るのは横に措いておきましょう)。このダイエットは、黒豆とお豆腐を朝食に食べて、あとは昼と夜を腹八分目に食べる。水は多めに飲み、あとは運動として週3回ショッピングモールを歩き回るというものです。簡単そう!ショッピングモールも近くにあるし。おまけに私はお豆腐料理が大の好物です。

ただ一つだけ引っかかったのは、ちゃんと朝食を食べなくてはいけない、という部分でした。なぜかというと、私は朝はお腹がすかない体質で、お腹がすかないのに物を食べることに抵抗がありました。



私に取って本は出会いです。なので、もう一冊の本が横にあって、タイトルの「朝食を抜くとなぜ健康になるのか?」を見た瞬間、両方買ってしまいました。典型的な衝動買いのモーメントです。この本は、「口に入った物は18時間かかってからだから排出される」というものです。なので、一日18時間食べることを空けてあげないと、胃と腸は24時間稼働し続け、寿命が短くなると書かれていました。もう一つうなずけたのは、「人間は食べなくては生きて行けない。だが、食べると寿命が短くなる(主に消費や食べ物が身体の中で発する有毒物質のため)」でした。

でも、やっぱりおもしろかったのは「電車と同じで、出る人が先! 食べ物も、出るのが先で、それから入ること。」わかりやすいなぁ、このメタファー!



なので、私は黒豆ダイエットを朝食抜きですることを決めました。早速私は今日3時にお昼(昨日は9時に夕食を食べたので、その18時間後は3時)。内容はパックに入った黒豆とあずきのお茶。夕食は8時で近場のお豆腐レストラン(京とうふ藤野という素敵なところです)。アルコールはどっちの本もお勧めではなかったのですが、お豆腐でできた白ワインがあったので、舐めるようにしていたっだきました(食中の水分は胃酸を薄める効果があるそうです。なのであんまり水分を飲んじゃいけないとのことです。舐めたらアルコールがいくらかは舌の上で蒸発してくれる気持ちがしました)。

こんなダイエットだったら、続けられそう!

またもやタイムリーに良い本達と出会って感謝!

平成21年12月13日日曜日

第二弾:Day 13 「月」のライブ


今夜は、ある知人のジャズコンサートをエンジョイしてきました。
この方とは今年ワークショップとセミナーで、ラッキーにもお知り合いになれました。有名でもある方ですが、とても気さくで、優しい、魅力的な方です。

やっぱり、人との出会いは宝物だなぁ~と思います。
この方との出会いもその大切な宝の一つです。

50人がぎりぎり入る小さな六本木のジャズハウスで、私の10年代の友人数人とで、このスペシャルな時間をジャズを聞きながらすごしました。私のセミナーからの別の人も来ていました。私は多くの宝持ち。パーフェクト!

今夜のジャズのテーマは「月」で、歌ったソングが全部「月」にかかわる作品でした。
最初の歌は「ペーパームーン (紙でできた月さ!)」。
聞くのは久しぶりで、とってもうっとりしてしまいました。
この歌の歌詞には、このような一節があります。

"Said it is only a paper moon
Sailing over a cardboard sea,
But it wouldn't be make believe
If you believed in me."
 
「あそこに見えるのは紙でできた月さ。
僕たちはダンボールで作った海をセーリングしてるんだ。
でも君が僕を信じてくれれば、それは空想では無くなる。」

今までは、この「信じれば空想では無くなる」 は、「信じれば本物になる」と考えていたのですが、実際は「信じれば空想以外のものになる」。 ようするに空想と本物は、白か黒かでは無く、間には別の状態もありえる、という考えです。

たとえば、「セミナーはどうでしたか?」と聞くと「悪くは無かった」というようなコメントです。
英語での「It wasn't bad」とも普通に聞くくらいですので、少なくてもこれは日本人だけの反応の仕方ではありません。でもこれは「良かった!」という意味合いではなく、「まぁまぁ良かった」の色が強いわけです。

NLPのせいもあって、「どうでない」よりは「どうである」を聞きたがる性格でしたが、「僕を信じれば、空想ではなくなる。」という言い回しが、ちょっとエレガントで、好きになってきました。

私の宝物の一人一人への出会いに感謝!

平成21年12月12日土曜日

第二弾:Day 12 感謝の習慣


今日は「自信を持って話す!」のワークショップの日でした。今日が今年最後のワークショップでもありました。

私の母は毎日ご先祖様(おばあちゃんとおじいちゃん)の為に、その日最初のお茶を二人に捧げます。そして、手を合わせて皆の健康と安全を祈ります。 そして、私が家に居るときは、少しすると「それを飲んであげなさい。おばあちゃんが喜ぶよ。」と言います。このまえ家に帰ったときには、みかんやお菓子も捧げてありました。これもいただきました。これは我が家での習慣です。

私もこれに近いことを私の部屋でもしています。私のおばちゃんが数年前に病気になったときから初めたのですが、毎朝仕事に行く前にお水を窓際に捧げています。その時は、おばちゃんが元気になるように神様にお祈りをするためでした。ですが、空しくもおばちゃんはその数ヶ月後に亡くなりました。その後は、天国のおばちゃんとおじちゃんへの毎朝のご挨拶と、今日も皆が無事な一日を過ごせるためのお願いをして、会社から帰ってきたら、その日が無事に終わったことへの感謝をして、お水をいただいています。これは平日の良い習慣になっています。ですが、週末はさすがにおじちゃんとおばちゃんもお休みが必要だと思い、特別なことが無い限りは土日にはお水は捧げていません。

今日は土曜日なのですが、お水を捧げました。ワークショップが無事に成功するようお祈りして家を出ました。やってよかったです。本当に。

今日のワークショップは少人数でしたので、コンテンツを各自のニーズに合わせるように変えて進めました。 以前ブログでも書きましたが、NLP的に言うと私は「オプション系」の人間で、同じことを繰り返すことを極力嫌いとする人間です。ですので、クラスの内容を突如変えることは私的には普通のことです。そして、そのときのエネルギーの流れに沿って生きることに、私は幸せと感じます。いわゆる「フロー」の中に自分を措くことで、多くのパワーと学びを得ています。

このように二度と同じコンテンツで教えない私には、副産物としてワークショップやセミナーを行うたびに、毎回新しい学びもあります。

今日の学びは、人はそのときの自分の人生のレベルに応じて物事を受け入れることができる、ということでした。言葉をかえると、それ意外のことは、いくら周りに転がっていても見えないし、逆にそれを指摘しても相手の心に響かないということでした。今日のワークショップを振り返ってみると、自分の意図が通じていないことに対して、一瞬ヤッキになっていた自分が思い出せます。でもそれはほんの一瞬でした。一年前の自分でしたら、もっと尾を引いていたと思います。

人にどう見えようと、人は自分の現実の世界で常にベストの選択をしている。私もそう。自分が教えることから、人はそれぞれ違う物を汲み取っている。でも、その人に取ってはその瞬間必要なものでもある。そう本心思える私も徐々に成長しているんだなぁ、と実感しています。

おばちゃん、おじちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん、今日もありがとうございました。
感謝します!

平成21年12月11日金曜日

第二弾:Day 11 そもそも言葉って誰が考えたの?



明日は「自信を持って話す!」というワークショップの日です。

これは私がNLPを応用して作ったコンテンツの第二弾であり、すでに数回行っているワークショップでもあります。最初のワークショップは「ビジネスコミュニケーション」というもので、NLPのラポールとメタモデルという概念を主体にしたものですが、「自信を持って話す!」は、もろNLPの手法をふんだんに使っている内容です。

「ビジネスコミュニケーション」では、そもそも「Communication」という単語の定義から始めました。単語の定義はウェブ上の辞書で見つけていきます(www.dictionary.comやeiwa.excite.co.jpやwww.etymonline.comなどを愛用しています)。

例えば「Communication」という単語は、ラテン語の「Communicatio」や「Common」という単語がもとで、共有する、シェアするなどの意味を持っています。さらにさかのぼると、「Com」+「Unio」という二つの単語がもとになっていることがわかります。「Com」は「一緒」、そして「Unio」は「〜なる」。ようるすに「一緒になる」という意味です。ですので、Communicationを通して我々は「一緒になる」ということです。「Communication」はスピリチャル的ルーツもありますので、ご興味のある方は、こちらをご覧ください。

さて、それで明日のクラスの参考に「Confidence」のルーツを調べてみました。すると、この言葉は、ラテン語の「Con-」と「Fidere」の二つの単語から成り立っていることがわかりました。「Con-」は強調することで、「Fidere」は信頼することです。よって、「Confidence」は、「強く信頼すること」とも言えます。なので「自信を持って話す!」は、言い換えれば「自分を強く信頼して話すこと!」とも言えます。すばらしい!

それにしても、どっちが最初だったのでしょう? 自分を強く信頼するという感覚か? それとも「Confidence」という概念か?

余談ですが、米海兵隊のモットーは、「Semper Fidelis」、常に忠実という意味です。

それにしても、言葉を最初に考えた人ってすごいな〜と思います。
最近テレビで現代語大賞みたいなショーを見ましたが、「あげ、さげ」とか「草食男子」とかが出てました。はたして、数百年経ったら私みたいな誰かが、これらの言葉の語源を検索しているのかもしれませんね。

それにしても言葉はミステリアスです。
言葉は「言霊」と聞いたことがありますが、とってもうなずけます。

言葉の奥深さに感謝!

平成21年12月10日木曜日

第二弾:Day 10 組み込みループ


今日は会社のクリスマスパーティーでした。

私はこの会社では初めてのパーティーで、レインボーブリッジが見えるすてきなホテルで、かなりの豪華さにちょっと驚きでした。社長からの乾杯のスピーチは、今年の不況にもかかわらず、会社がノルマの100%近い成績を達成したとのハッピーなメッセージでした。シャンパンもバッチリでした!

お食事はブッフェスタイルで、50名ほどの人数でガヤガヤにぎわっている最中、司会がゲームをやったり、プロのマジックショーをやったり、まぁ、楽しかったです(マジシャンの手に隠れたカードが見えちゃったのが、ちょっとがっかりでしたが、やはりハトがハンカチから出てくるのはすごかったです)。

最後には日本の会社ですから、「一本締め」をリードする人が〆のスピーチをしました。アメリカでしたらクリスマスパーティーの終わりの言葉は、一年無事であった幸せ、家族への感謝、そして来年に向けての平和への祈りで、和やかな気持ちで終わります。

しかし今夜のスピーチはちょっと違っていました。この方は営業のマネージャであったせいか「まだ今期は終わっていないので、最後までがんばろう。最後の一円まで売ってこよう。こういう努力があるからこそ、皆の家族も安心して暮らせていることを考えよう。」まぁ、こんな感じでした。

私はどうがんばってもクリスチャンとは言えません。でもクリスマスのスピリットは大切にしています。そのせいか、この最後のスピーチに若干違和感を覚えました。

でも一つだけこのような終わり方で良いこともありました。それは、コミュニケーションのテクニックで言う、組み込みループ(Embedded Loop)という概念です。これは、何か相手の無意識に埋め込みたいメッセージがあるときは、ロシアのお人形のように、一つの人形の中にさらに小さな人形があって、その人形の中にさらに小さな人形があって...のように、一番大切なメッセージを別のメッセージで包んで行くことを指します。その観点から見ると、今日のパーティーは、営業的メッセージで始まり、営業的メッセージで終わりました。ですが、その真ん中には、楽しいマジックや、美味しい食事の記憶のメッセージが入っています。

今日のスピーカーは、無意識に、私たちの無意識に、楽しい思い出を包んでくれました。

無意識のハッピーネスに感謝!

平成21年12月9日水曜日

第二弾:Day 9 認識から改善へ

私は気導術というものを学び、最近気導師という資格をいただきました。
長年「気」には興味があり、西野流呼吸法、気圧療法、インドのクンダリニなど、様々トライしました。多くの学びもしました。が、「自然の大気のエネルギーを自分の身体を通して他に導く」という気導術の概念が一番自分にピッタリくることを今実感しています。

今日は3ヶ月ぶりに気導術の一日セミナーにいってきました。そして、そこで一つの気づきがありました。

まず先生が一人の方を前に出てきてもらいました。そして、足をぴたっと真っすぐくっつけて、バランスが壊れやすいように立ってもらいました。そして、先生がその方の右腕を軽く下に引っ張ると、すぐに右側にバランスが崩れてしまいました。次のその方に一度深呼吸をしてもらい先生が気を送ると、再度右腕を下に引っ張っても、バランスは崩れず、がっちり立っていました。ただし、左の腕を同じく引っ張ると、こんどは左側にバランスを崩します。また深呼吸をしてもらい先生が気を送ると、再度左腕を引っ張っても、がっちりと立つことができたのです。

ここで先生がこう言いました。「一旦脳に問題を認識させてから気を送るとそこが改善される。だが、脳が認識していないところは改善されない。」

この法則は当たり前に思えるかもしれませんが、これは私にとっては目から鱗でした。これほどまでに法則が素直に現れるとは、びっっくりでした。そして脳のすごさも、あらためて認識しました。


もう一つビックリしたのは(今このブログを書きながら気がつきました)、脳は意識的に「なぜ異常なのか」を知らなくても「どこが異常なのか」を身体で認識するだけで、自然力で改善することができるということです。

このミステリアスな我々の身体と自然の法則に感謝!

平成21年12月8日火曜日

第二弾:Day 8 視力は思力


この2〜3年で視力がだいぶ落ちてきたような気がします。
「そりゃ老眼でしょう」と言われればおしまいなのですが、実は老眼というものは存在しないということをご存知でしょうか。本当かどうかという判断は、私自身まだ保留ですが、この数年数多くのセミナーでそう聞いてきました。

4ヶ月くらい前にアメリカやロンドンで立て続きでセミナーを受けていたとき、最初の5日くらいは時差ボケで日中眠くて眠くてしょうがないときでした。セミナーの講師が「時差ボケというものは存在しないんです。もしあるとしたら、それは貴方の頭のなかの産物です」って言われたとき、一瞬目が覚めたことを思い出します。最初は「何いってるの、この人?」という感じでした。ただ時差ボケを感じないときもあるのは確かで、そうなると、人は必ず時差ボケになる訳ではないということになります。となると、時差ボケはマインドによって左右される現象かもしれませんね。

同じことが「老眼」と言われることにも当てはまるらしいです。

今、「ミラクル視力手法(Miracle Eyesight Method)」という本を聞いています(目を悪くしたくないので、朗読ものを聞いています)。この本は、Meir Schneider氏が書かれた本で、彼はもともと視力がとても悪く、盲目に近い状態から16歳の時にこの手法で視力を回復したらしい人です。老眼が本当に存在するかどうかはまず横においても、シュナイダーさんが言っていることはとてもマインドをオープンにする内容です。

例えばこんなことです:
  • 人間の視力(ビジョン)を一番左右する要素は脳である
  • 脳が「どれだけものを見るか」そして「どれだけ見ないか」を決めている
  • 脳が「どれだけ鮮明に」そして「どれだけぼやけて」見えるかを決めている
  • 眼球の変化は脳から始まる。よって「近眼」になる理由として「自分はものが良く見えないのだ」と受け止めているから、その受け止め方が目のレンズの構造を変えてしまうのである。「遠視」と受け止めればレンズは堅くなる。
シュナイダーさんいわく、近眼の原因は、メンタルストレスと脳が「世界はファジーなところなので」と受け止めているからだという。 近眼は普通小学校3年生くらいから始まるらしい。同時に子供が3年生くらいになると、徐々に「世界はあまり変わらない物だ」と考え始める。もし3年生くらいに眼鏡をかけ始めないと、大体多くの人は大学生くらいから眼鏡をかけ始める。この時期も、「将来はあまり好ましい物ではない」と考え始める人たちも多いからだという。遠視になる人は普通40〜50代で、彼らは「自分の人生は、はたしてこれから変えることができるのだろうか?」と聞き始めるお年頃だからだという。

視力は思考の現れだという。
よし!これから私の視力はあがっていく!

それにしても本当にこの世は見える物よりも見えないもののほうが多いと思う。

この見えない世界があることが見えてきたことに感謝!

平成21年12月7日月曜日

第二弾:Day 7 次の小さな一歩


オーバーウェルムという概念があります。

何かのゴールをたてて、今いる状況からそのゴールを見ると、あまりにも長いく困難に見えて、本当にゴールにたどり着けるかどうか不安になってしまうことがよくあります。この状況がオーバーウェルムです。

私は前の「50-day plan」で、自分の部屋を片付け、気を改めるゴールをたてました。しかし、部屋が小さいことと、物が多くて、どこから手を付けていいのか、めちゃくちゃオーバーウェルム状態でした。あまりにものオーバーウェルムで、まったく手を付けない状態が長く続きました。ただ、毎日「片付けるべき」ものが「片付いていない」状態を見ていると、どんどんと心も壊れてきます。

こういうときにつかえるのが「次の小さな一歩」です。

「次の小さな一歩」は、私のコーチングのメンターから学んだことで、オーバーウェルムには「what is the next smallest step?」と聞くようことでした。オーバーウェルムはずっと先にあるゴールをいきなり目指すと、あまりにも現実とかけ離れていて、オーバーウェルムになるが、まず目先に視点を移して、次にできる一番小さなことから行っていくことが鍵になります。

この「次の小さな一歩」が本当に小さな一歩かどうかをチェックする方法は、まず最初に、ゴールを達成したときに感じるだろう達成感を感じます。そして、その気持ちを保ったまま、次の小さな一歩でやることを考えます。このときに同じ達成感の気持ちを保ったままでいれれば、これは正解。もし不安な気持ちになったとしたら、もっと小さな一歩を考える必要がありということです。

一歩一歩部屋が片付いていく喜びに感謝!

平成21年12月6日日曜日

第二弾:Day 6 傷は時が癒す


今日は私が教えている週一度4時間会う10週間のコースが終了した。
いや。20週間というのが正しい。
彼らは皆10週間の週一6時間の準備段階を経て、その次の10週間を取ってくれた人たちだ。
そして、この最後の日に、とっておきのプレゼントをしてあげたかった。
だから、今日は「傷は時が癒す」メタファーを使って、何か嫌な気持ちがあったら、それを容易く癒す方法を紹介した。

「Time heals all things (傷は時が癒す)」は、誰でもが信じて疑わないことであるし、確かに自分の経験からしてもうなずける概念である。例えば過去に傷ついた経験を今振り返ってみると、そのときは死にたいくらい辛かったのに、今は何とも思わないことってあるだろう。たまには、そのときの自分を懐かしくも思えてはこないだろうか。身体の傷も心の傷も、傷はやがて塞がり、回復していくのである。人間が人間であるかぎり、我々は死ぬまで生きる生き物なのだ。

ただここで一つ不思議なのが「時間」というミステリアスな概念だ。確かに昨日はあったように思えるし、明日もくるように思える。だが、我々は常に「今」しか存在できない。万国共通のメタファーにこれ以上のものがあるだろうか。ましてや「傷は時が癒す」となると、このメタファーを使わない手はない。

そこで「フューチャーソーシング」というNLP(神経言語プログラミング)のテクニックがある。NLPでは「時間」を「タイムライン」という線のイメージに置き換える。そして、その線をたどって過去に戻ったり、未来に行ったりする。

テクニックはとても簡単。まず最近傷ついて、いまだに痛みを感じている出来事を考える。そしてタイムラインで未来に飛び立ち、その傷ついた出来事が遠い過去のものになり、振り返ってみると、その出来事の痛みは癒され、学びまで感じる場所に飛んで行く。遠い未来から今を振り返ってみると、未来が「今」になり、今の傷が「過去の傷」になる。そして傷は時が癒すので、過去の傷はもう癒され、別物に変わるいうことだ。一旦癒されて変わったものは、未来から今に戻っても、その癒された気持ちは変わらない。とってもすてきなテクニックである。

このテクニックは私のあるメンターから学んだもので、最近色々と復習しているときに再発見したものだ。そして、今日はこのテクニックをコースの皆さんにプレゼントできたことに感謝!

平成21年12月5日土曜日

第二弾:Day 5 アサーティブネスの学び

私の「あしたろぼ」のテルトラ君です。


今日初めてのアサーティブネス・ワークショップを開催しました。このワークショップの準備は今週の月曜日から行ってきて、今日の朝に全体の流れを決めました。

私は10数年前にとあるIT教育関係の会社でトレーナーとして活動したときに、初めてのコースに立つときは「デビュー」と呼ばれていたことが印象的でした。そういう意味では、今日は久しぶりのデビューでした。

実は私に取っては数回行っているコースでも、毎回同じコースはありません。常に新しい内容を盛り込み、常にそのコースに参加していただく皆さんに会わせて内容をフレッキシブルに変えています。NLPのメタプログラム的には、典型的なオプション系の人間で、決まったプロセスに沿って何かを行うことが苦手ともいえます。ですので、エブリディーがデビューとも言えます。

ただ、今日のテーマは久しぶりに自分的にも多く学べる内容でした。そして必要な内容でした。

数日前のブログでは、「アサーティブネス=セルフエスティーム」と書きました。アサーティブネスは「自分が強く思っていることと言っていることが合致しているか」とも言えます(伝えかたも大切です)。セルフエスティームは自己尊重の意味です。もし自分が言っていることと思っていることが合致していると自分への尊重は育ち、そうでないときは尊重は減って行きます。これは何故かというと、行いと思いが合致しないとコンフリクトが起こり母体(セルフ)が不安定になるからです。

私は一ヶ月前ほどからアサーティブネスの実験に入ってしまったような気がします。自己主張は感情が伴うと相手に対しての攻撃と思われます。攻撃になった瞬間相手は守りにはいるので、これはアサーティブネスではなくアグレッシブネスに変わります。私はここで数週間さまよっていました。先週の木曜日に決着はついたのですが(やっぱり戦いだったような気がします)、一段落の思いはありますが、すっきりきません。

もう少々修行が必要そうです。

教える喜びに感謝!

平成21年12月4日金曜日

第二弾:Day 4 リスペクト

今日は大阪に出張でした。

私は電車に乗るのが好きで、行きはお弁当食べたり、本を読んだり、iPodを聞いたりしていたら、あっというまに新大阪に着きました。


東京に戻るときも、新大阪の駅内の串焼きやさんにいって、串セット(串6本とビール一杯)800円を食べるのがいつもの楽しみです(曽根崎乃多幸梅 JR新大阪店というお店)。今日はちょっと早めに仕事が終わったので、串12本+αとビール二杯飲んじゃいました。やぁ〜、幸せ!
(左はお店のメニューイメージ。今日はおでんはたべませんでした)

帰りののぞみは、4000円がんばってグリーン車に乗って、優雅な気持ちで東京帰り。
ゆったりした席の背を倒してiPodに入れたばっかりの本の朗読を聞いていました。今日の本は、「The Power of a Positive No」というもので「Getting to Yes」という本を以前書かれて有名になったWilliam Uryさんの新作です。明日のセミナーの準備として何か新しいコンセプトに出会えることを期待して聞き始めたのですが、内容がバッチリでした。

一つ面白い!と思ったのが「Yes - No - Yes?」のコンセプトです。

Uryさんいわく、人は「No」と言うべきときでも、なかなかはっきりと言えないときがある。それは、その人に嫌われるのではないかとか、アグレッシブに思われるのではないかなど様々な理由がある。ただし「No」を「Yes」に繋げればいいのだ、とUryさんは言う。 

まず最初の最初は相手をリスペクトすること。これは相手の言う通りにすることとは違う。相手をリスペクトすることとは、相手の存在と価値を認め、相手の言うことをまずじっくりと聞くこと。そして相手の立場から物事を見てみることを指す。相手をリスペクトすれば、相手も自分をリスペクトしてくれる。これがヒューマンコミュニケーションの仕組みである、とのこと。

この土台ができての最初の「Yes」は、状況を感情抜きでファクトのみを述べること。ここで大切なのは相手に対して「Don't Blame & Don't Shame」を守ること。「Say what you mean, mean what you say, but don't say it mean.」はい。おっしゃるとおりです。

次の「No」は、自分の意見を述べる。賛成しないことである又は断ることははっきりと「No」という(でも「mean(意地悪っぽく)」では無く)。相手は自分へのリスペクトもしてくれているので、感情を荒立てること無く聞いてくれる。そして最後の「Yes?」は相手への提案で「このようにすればどうですか?」の意味。

Yes - No - Yes。「Yes」へ繋がる「No」。
これを相手へのリスペクトで始め、リスペクトで終える。

これは絶対に明日のセミナーで皆とシェアしたいと思いました。




シンプルな幸せに感謝!

平成21年12月3日木曜日

第二弾:DAY 3 鳩に豆鉄砲


今日はブラックベリー(携帯電話の様なもの)からのブログの更新にチャレンジします。

今日はほぼ一日中面接官として、私の部署の求人広告に募集していただいた方々とおあいしていました。

この数年間多くの方々と面接させていただきましたが、今回は私の中ではちょっと違った気持ちでおこなっています。 まずいつもでしたら、書類審査で適切な人たちを選んで、できるだけ絞りこんで少ない人数を面接していました。今回はその逆で、特に明らかにマッチしない理由がないかぎり、多くの方々とお会いしたいので、数多くのの方々と面会するする予定です。この発想の転換は、私の世界観の変化の現れだと思っています。

そのなかでお会いした一人の方が心に残ります。

そかたは中肉中背の中年の男性でした。頭の毛も薄く、メガネをしていました。簡単に言うと普通の中年のサラリーマンです。目は終始下向きで、暗い感じの方でした。話をきくと、これとしてやりたいこともなく、次に何をしようか決めかねているとのこと。まるで面接に来て自分の次の進むべき道を相談に来たような感じでした。

普段でしたら、このような人にはイライラしてくるのですが、逆に興味が出て、色々聞いてみたところ、2ヶ月前にリストラされたばかりであることがわかりました。私から見れば、この方は、頭では首になったことは分かっているが、身体はまだピンと来ていない。だから面接も半信半疑。いわゆる鳩が豆鉄砲を食らって、ポッカ〜んとなっているような感じでした。

人は独りでは意味をなさない。でも生まれてくるときも、死ぬときも独り。
アメリカ風にいえば "Nobody owes you a living"です。でも独りじゃない。


できるだけ早く目が覚めて、強く生きていくことを祈ります。

多くの方々とお会いできることに感謝!
携帯からブログをかけるような時代に感謝!

平成21年12月2日水曜日

第二弾:Day 2 アサーション=セルフエスティーム


「自分で学びたいことは教えなさい」という概念があります。そう考えてみると、私が近々に「アサーティブネス」のセミナーを開くのも結局自分のためなんだなぁ、とつくづく思いました。

子供のときは覚えていませんが、日本からアメリカに渡り英語にどこか自信が持てていなかった自分は「サブミッィブ」の範疇をさまよっていました。それへの反発か、女性でありながら陸軍警察に入隊した私は、行動的には「アグレッシブ」な路線にチャレンジしていたのかもしれません。そしてこの数年感NLPを学びそして教え、徐々に「アサーティブ」への道が開けてきた気持ちです。

それでも、コンテキストによっては、まだまだ「サブミッシブ」そして「アグレッシブ」になる自分もまだいるのに気がついています。

だから、今、自分が「アサーティブ」のセミナーをするのでしょうね。まだまだ学ぶことがあるから。

平和主義社のモデル、マハッタマ・ガンジ氏は次のような言葉を残しています:
A 'No' uttered from the deepest conviction is better than a 'Yes' merely uttered to please, or worse, to avoid trouble.

「アサーション=セルフエスティーム」は明日さらに自分の「I(アイ)」の視点から考えていきます。

学ぶチャンスが自然におとずれるこの奇跡に感謝!

平成21年12月1日火曜日

第二弾:Day 1 感謝祭は「七面鳥の日」じゃない!?


先週はアメリカの感謝祭でした。 これは、サンキスギビングディー(Thanksgiving Day)と言って、伝統的には家族が皆家に集まって、調理された七面鳥、パンクズにグレービー、 マッシュポテト、クランベリーソース、パンプキンパイ等食べて、家族の安全、美味しい食べ物、平和な生活に感謝する日です。

私は先週感謝祭を祝うために、実家のハワイに戻っていましたが、金曜日にアポがあったため、感謝祭は一日早めに両親とエンジョイしました。感謝祭の日に日本に戻ってきましたが、このスペシャルなお祝いを家族と一緒にハワイで祝うことができて感謝です!


さて、このお祝いの前の日ですが、ホノルル市の中心のアロハタワーと呼ばれるショッピングセンターである人との待ち合わせのため、私の愛車のボルボに乗って向かっているときでした。アメリカに行くとラジオのトークショーが大好きなので、運転しているときには常にラジオを聞きながら運転しているのですが、そこでトークショーのホストが「感謝祭」に関して話をしていました。

彼は、最近アメリカで「Thanksgiving Day(感謝祭)」を「Turkey Day(七面鳥の日)」と呼ぶ傾向があると指摘していました。そして、この日を「Turkey Day」と呼ぶことを法律で禁ずるべし!と力説していました。その理由として、まず第一に「Holiday(祭日)」は、「Holy Day(聖なる日)」が由来で、感謝祭も聖なる日であるということ。「Thanksgiving Day(感謝祭)」は、アメリカの第一大統領のジョージ・ワシントンが始めた祭日であり、自由の国アメリカに生きていることを感謝するための日であること、などでした。

そして、一番私がうなづけたのは「人生の中で、小さいことが大切なことだから、こういうことを守らねば、もともとの意味が分からなくなる」でした。多くのことに感謝するための日が「七面鳥の日」になった瞬間に、名前が変わっただけではなく、そもそもの祭日の日の意味が消え失せてしまうのです。

そう思えば、今日食事からタクシーで家に帰ってくるときもラジオで誰かが「いじめ」の話をしていました。その人は「いじめ」という言葉をなくすべきだ!といってました。なぜかというと「いじめ」はれっきとした「暴力・暴行」であり、「いじめ」と言っている間は、社会からまじめに対応されないからだ、という説です。

こういうことを聞いていると、ロミオ&ジュリエット(シェイクスピア)の一説が思い出されます:「What's in a name. A rose by any other name would smell as sweet.」。

人が「Thanksgiving Day」を「七面鳥の日」と呼ぶことは、人々の心の中から「感謝の心」が忘れられてきている一つの現象だと思う。そう思うと、一生懸命に表面的な現象のレベルで力説をしてもしょうがない。感謝の心がまた芽生えてくれば、人は自然と「七面鳥の日」を「Thanksgiving Day」と呼ぶことでしょう。

感謝祭のシンボルである多くの七面鳥やその他多くの生き物達に感謝!

もし50日しか生きれないとしたら。。。

もし後50日しか生きれないとしたら、その時間をどう生きますか?
一日一日が最後と思って生きるとしたら、どう毎日が変わるでしょう?
エルドン・テイラー氏が出した答えは「このひとときを大切に」でした。