平成21年12月21日月曜日

第二弾:Day 21 年末という節目


今日は会社のランチタイムを使ってブログのアップデートをしています。

今日は「節目」ということにインテンションをおきたいと思います。
先日コーチングのセッションを受けていたときに私があげたひとつの目標は、朝のスタートを気持ちよくすることでした。

私は早起きの習慣は無く、本当にまれに「さ~!朝だぁ!」という気持ちで目が覚めます。
それとは裏腹に、夜はとっても集中できて、働きやすいと自分では思っています。
コーチングの中で「私の一日が夜から始まったらなぁ」とコメントしたことを覚えています。
たしか、これはそんなに外れた考えではなく、どこかの国では、夜から一日が始まる習慣があると読んだことがあります。

でも、しかし、なぜ人間は、このようにメリハリをつけたがるのでしょうか?
一日の始め。一日の終わり。
週の始め。週の終わり。
一年の始め。一年の終わり。
そして人生の始め。人生の終わり。
そう考えると、自分の境界と他人の境界も、同様のニーズからあるものかもしれません。

今日一日、このことを頭に過ごしていきます。

では、いってきます!
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ただいまです。

今夜は二人のお友達と忘年会でした。
美味しいイタリアン、ワイン、そしてグラッパ。
貴重な一時は、本当にプライスレスです。

それで、「節目」に関し答えが浮かんできました。
私たちは節目を、ある一定の時間が過ぎたところに設定しています。
一年が365日のように、時間は我々の外にある物差しで動いているように思え、ある意味「確実におきる」ものです。ようするに、我々は「節目」を設定することによって、「確実に起きる」何かを作り、そこに一種の安心感を作っているのではないでしょうか?

でも、時間は相対的な物です。
一日は24時間かもしれませんが、太陽系に何か起きて、地球と太陽との関係が変わったらどうでしょう?地球が太陽を30時間で回ったら、一日は30時間になるのかもしれませんね。

「節目」。
それは私たちのマインドの産物。
現実には無い。
確実なことも何も無い。
あるのは、本当にこの一瞬だけ。

友人達に感謝!

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もし50日しか生きれないとしたら。。。

もし後50日しか生きれないとしたら、その時間をどう生きますか?
一日一日が最後と思って生きるとしたら、どう毎日が変わるでしょう?
エルドン・テイラー氏が出した答えは「このひとときを大切に」でした。